紀里谷和明の最新作『世界の終わりから』。監督人生最後の作品で情熱的に描く人間の“孤独”と“希望”

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一大ブームを巻き起こした映画『CASSHERN』から19年。その後もさまざまなヒット作品を生み出してきた紀里谷和明監督が、最新作『世界の終わりから』を発表。今作を区切りに創作活動から引退すると語る紀里谷監督に、『世界の終わりから』に込めた想いをお聞きしました。

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最新作の主役は初の「女の子」

映画界の第一線で活躍する紀里谷監督が突如、最後の作品として発表した『世界の終わりから』。映画業界や映画ファンを激震させたニュースとともに、監督の想いを全て注ぎ込んだ最新作への注目が高まっています。

今作は、世界を救うために奔走する一人の女子高生の物語。主演のハナを演じるのは、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』や映画『空白』、『さがす』などで演技力の高さを評された、新進気鋭の女優・伊東蒼。

監督自ら編集した予告編動画では、紀里谷監督らしい、不思議な世界を美しく描写した物語の断片を観ることができます。

これまでの作品は男性が主役でしたが、『世界の終わりから』では女子高生が主役に。この新しい試みは、どのような視点から生まれたのでしょうか。

「今振り返ると、過去3作『CASSHERN』『GOEMON』『ラスト・ナイツ』の主人公、東鉄也、石川五右衛門、ライデンは、それぞれ全く違った人格なんですが、ひとつにすると僕が出来上がる訳です。そんな重要なことを先日気づきまして(笑)たぶん、この3作で “自分”の中にあるトラウマや使命感を描くことは終わったんでしょうね。そこで今回、意識が外に向いたんだと思います」

意識を内から外に向けた時、思い浮かんだのは“未来”のこと。

「この世界を生きる子どもたちの未来を考えると、とても殺伐とした気持ちになります。この子達はこれからどんな風に生きていくんだろう? と考えていたら、ある“女子高生”が頭の中に現れました。その子はとても優しくて賢くて、でも生まれた世界が優しくなくて、残酷で。だから彼女は絶望していて、でもどうすることもできなくて…といった感じで、その子を頭の中で追っかけて行ったら、主人公のハナになったという訳です」

人間の“孤独感”に対峙した作品

作品タイトルは『世界の終わりから』。もし「世界の終わり」なら悲観的な印象を受けますが、「から」と続くことに、未来への希望や願いが込められているようにも感じます。このタイトルを選んだ理由とは?

「『世界の終わりから』というより、『日本の終わりから』の意味合いが強いのかもしれません。今の日本って、どこを見ても絶望だらけに見えませんか? 特に若者の視点からだと、とても顕著だと思うんですが、みんな心のどこかで『こんな世界終わっちゃえばいい』と思っているんじゃないでしょうか。世界が終われば嫌な学校に行かなくていい、嫌な会社に行かなくていい、みたいな。事実、僕のTwitterでアンケートを取ったら70%の人がそう思ったことがあると答えたんです。たぶん『一回終わらない限りこの世界は無理だ』みたいな気分があるんじゃないでしょうか? 少なくとも僕の中にはそういう感覚があります」

それは、コロナウイルスによるパンデミックや、ロシアとウクライナの戦争など昨今の非常事態から起きる不安からではない、と紀里谷監督は言います。

「コロナや戦争といったことは、メディアが取り上げる極めて表層的なことだと思います。日本が貧しくなったとよく言われますが、実は私たちはとても裕福な世界に生きています。事実、現代世界は過去一番貧困が少ない時代で、殺人の件数も、戦争による死者も含めて史上最低。だから、データ的にはものすごく豊かで平和な時代を生きているんです。それなのにアメリカの統計では、ティーンエイジャーの約3割が真剣に自殺を考えたことがあるというデータがあり、日本では若者の死因の1位が自殺なんです」
(※令和元年(2019)人口動態統計月報年計(概数)の概況 P36/厚生労働省

そんな時代に生きながら、背景にある心理について、監督は次のように推察します。

「結論から言うと、当たり前の話なんですが、みんな孤独なんだと思うんです。で、その孤独はどこから来ているのかというと、加速する効率化だと思っています。何でもかんでも効率化していく社会。全てを数値化して可視化して、人が資源の一種として扱われる。で、タチが悪いのは、資源になってる方もその効率化を信じ込んでいて、コスパ、タイパと言い始めている。そんなものを追求するんだったら人付き合いなんかしない方がいいし、関わらない方がいい。「利用できる人間だけ欲しい」ということになるのです。そんな世界で人なんか信用できないでしょ。そりゃみんな孤立しますよ。そして孤立したら不安にもなりますよ」

その孤独や不安と向き合った先に、救いの未来は果たしてあるのか。「これ以上はネタバレになるから」と、監督は多くを語りませんが、公開中の予告映像やキャラクタービジュアルには、意味深な台詞も。こちらをチェックすれば、ストーリーをひもとくヒントが見つかるかもしれません。

「言えることは、大人達が勝手に進めた効率化によって起きた、ありとあらゆるゆがみを一人の女子高生が背負う話です。まさに今の若者達の話です」(紀里谷監督)

クリエイターはAIに淘汰されるべき

今回の作品で、映画監督をはじめ、あらゆる創作活動から退くことを明言している紀里谷監督。その決断に至るまでに、どのような経緯があったのか気になるところ。

「まず、本作品で言いたいことは言い切った、という想いがあります。そして一度全ての創作活動から距離を置かない限り、自分は人間として成長できないと思いました。確かに物作りは素晴らしいことですが、苦悩も多く、犠牲にするものが多すぎる。せっかく生きているこの世界で、もっと違う領域にも身を置いてみてもいいんじゃないか? と思いました。それともう一つ、これは随分前から言っていることですが、AIの登場で真っ先に淘汰されるのはクリエイターなんです。それは人間の自業自得で、私達は損得勘定でしかモノを作らなくなってしまった。『どうすれば売れるのか?』『どうすれば再生数が上がるのか?』みたいな事ばかり考えている。つまりこれも効率化なんです。それってクリエイティブの対岸にある考え方で『美』のかけらもないですよね。そんな業界に嫌気が差したというか、創作という『美』を司る神聖な領域で、ものすごく不純なことをやっているようにしか見えない。ある意味惨めなものになってしまったと思うんです。だったらそんなものはAIに駆逐されればいい。到汰されればいいと思うんです。よっぽどAIの方が『売れよう』といういやらしい考えがなく純粋で自由で縛られていない。人間よりよっぽどクリエイティブじゃないですか。そうやって全てが破壊された先に、私達にとって本当に大切なものが見えてくるんじゃないですかね?」

映画監督に未練は一切ない

クリエイティブの破綻によるモノづくりの世界の終わりが、すぐそこまで来ている今、最後までクリエイターとしてのあるべき姿、紀里谷監督の美学を貫いた今作品。それは、観客の心への問いかけと同時に、商業主義化しているクリエイターへのアンチテーゼであるようにも思えます。

最後の作品となる映画の公開を前に胸中をたずねると、「この作品で、作家として言いたいことを言い切りました。未練は一切ありません」と、きっぱり。

「このスケールで、このテーマを扱ってここまで言い切っている作品は少ないと思います。それくらい全てを捧げて作りました。これはどんな作品にも言えますが、伝わらない人には伝わらない。でも伝わった人達はたぶん、映画が終わった時にしばらく席を立てなくなるんじゃないかと思います」

世界の終わりから見えるのは希望なのか、それとも…。エンドロールが流れた後、果たしてどんな感情がうごめくのか。ぜひ、スクリーンの前で体感してください。

■作品情報
原作・脚本・監督:紀里谷和明
出演:伊藤蒼 毎熊克哉 朝比奈彩 増田光桜 岩井俊二 市川由衣 又吉直樹 冨永愛 高橋克典 北村一輝 夏木マリ
『世界の終わりから』公式サイト:https://sekainoowarikara-movie.jp/

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