いいものをつくり、それを広める。歴史ある大豆を再興させる『戸田酒店』と農業協同組合の取り組み。

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神奈川県で古くからつくられてきた「津久井在来大豆」をご存じですか。甘みが強く、煮豆や煎り豆にするとおいしく食べられるほか、その甘みを活かしたきな粉や味噌としても愛されている大豆です。ですが、この「津久井在来大豆」、一時は輸入大豆の増加などにより栽培する農家がほとんどいなくなり、「幻の大豆」と呼ばれるほどに生産量が落ち込んだこともありました。しかし今、県内各地で「津久井在来大豆」を守ろうという取り組みが進んでいます。農家の方の声を受けて農業協同組合(農協/JA)も動き出し、食品の開発や流通を手掛ける企業とタッグを組んで「津久井在来大豆」の認知向上や消費拡大に努めています。ここでは「津久井在来大豆」を広めるために活動を続けている『JA神奈川つくい』の中原正貴さんと『株式会社戸田酒店(以下、戸田酒店)』の柄澤穣(からさわ・じょう)さんにお話を聞きました。 

目次

「津久井在来大豆」って、どんな大豆? 

――はじめに「津久井在来大豆」の歴史について教えていただけますか。 

中原正貴さん(以下、中原) 「津久井在来大豆」は古くから神奈川県で栽培されている大豆です。今の相模原市緑区千木良(ちぎら)の辺りを中心につくられていたもので、ここがかつて津久井という名前だったため「津久井在来大豆」と呼ばれています。戦後、輸入大豆のシェアが拡大したことや鳥獣の食害の影響もあり、一時は「幻の大豆」と呼ばれるくらい生産量の少ない作物になっていました。しかし近年、農家の方から「津久井在来大豆」をなくしたくない、再び盛り上げたいという声が上がり、現在農家さんと私たちで「津久井在来大豆」をブランド化し、生産量と消費量を増やす取り組みを続けています。 

8月ごろの大豆畑の様子。津久井在来大豆は11月ごろに収穫期を迎える。

――「津久井在来大豆」をブランド化するために、どのような取り組みをされているのですか。 

中原 「津久井在来大豆」は大豆の品種の名前ではありません。取り組みが始まった平成18年ごろに「津久井在来大豆」とされている県内の大豆について調査をしたところ、地域によって形質にばらつきがあることがわかりました。そこで「津久井在来大豆」の本来の特徴に一番近いものを「津久井在来大豆」の「産地標準系統」としました。 

――さまざまな「津久井在来大豆」のなかから、いわば「本家」のようなものを定められたわけですね。 

中原 そうですね。そして、その標準系統の種子から採れた3世代(3年)ぶんの大豆までを「津久井在来大豆」としています。3年目以降の大豆の種子は「津久井在来大豆」のものではなくなるので、言ってみれば「血の濃さ」を前面に出してブランディングしているイメージですね。

産地標準系統の津久井在来大豆には専用のロゴマークがつく。

――古来からつくられてきた大豆の血脈をしっかり受け継いでいるものだけを厳選しているわけですね。「津久井在来大豆」の味や成分の特徴についてもお話しいただけますか。 

中原 ほかの大豆に比べて甘みが強いのが特徴ですね。たんぱく質の割合が低く、ショ糖の割合が高いことで、大豆のまま調理されても、加工品であっても甘みをしっかりと感じられると言われています。

『JA神奈川つくい』の直売所に並ぶ「津久井在来大豆」。きな粉や味噌などに加工されたものもある。

「津久井在来大豆」と戸田酒店の出会い。 

――「津久井在来大豆」について、一時は生産量も落ち込み、さらに「産地標準系統」で「津久井在来大豆」にできるものを厳選しているわけですが、その第一歩となる種子の確保などには問題がなかったのでしょうか。 

中原 種子農家の方に協力を仰ぎましたが、当時は4名しか「津久井在来大豆」の種子を扱っている方がおらず、せっかく生産量を増やそうとしても種が足りないという時期もありました。そのときはほかの地域でも種子をつくれば、という話にもなったのですが「津久井在来大豆」である以上、津久井の地でやりますと断りました。現在は種子農家の方が10名に増えたことで、生産体制は整ってきていますね。生産が安定したところで消費拡大に向けた動きを取ることになり、そこで出会ったのが『戸田酒店』さんでした。 

柄澤穣さん(以下、柄澤) 2023年の4月に、農協の直売所やファーマーズマーケットなどで販売する食品の試食会があって、そこで中原さんと出会いました。当時、「津久井在来大豆」を使った新しい味噌をつくれないか、という話になっていて一緒に商品開発をすることになりました。私たちとしても、各地の農協さんのお店に入れる商品は、なるべくその地域の食材を使ったものにしたいという気持ちがあり、また「津久井在来大豆」でつくった味噌を食べたいという声も聴いていたので、すぐに開発に取りかかりました。

中原 私たちとしても、流通や開発を含んだ「発信」の必要性を強く感じていたので、こうして戸田酒店さんと組めたのは幸運だったと思っています。 

柄澤 「津久井在来大豆」の発信という観点でいうと、県内における認知度の違いもおもしろいんですよ。子どもたちは小学校の授業で「津久井在来大豆」のことを「すがたを変える大豆」というテーマで勉強し、大豆を育てることもやっているんです。だから試食会などのイベントに家族でいらっしゃるときも、お子さんの方が大豆について詳しかったりするんです。 

中原 「津久井在来大豆」につけられた津久井という地名は、現在はもうなくなっています。ただ「津久井在来大豆」をつくり続ければ、この土地の名前を残していくことができるんですね。「津久井在来大豆」を通じて小学生などのお子さんを含む若い世代の方に津久井のことが受け継がれていけばうれしいですね。 

柄澤 発信という点では、『JA神奈川つくい』のファーマーズマーケット「あぐりんず つくい」さんでは、Instagramを使った情報発信もされていますよね。 

中原 SNSを介した発信については、地元の方だけでなく県外からのお客さまにも情報を届けるために何かやらなくてはと考えていました。以前、秋田県の横手市を視察した際、Facebookを有効活用しているのを見てその効果は知っていたのですが、セキュリティの関係でうちの農協ではFacebookを使った発信はできなかったので、Instagramを使うことにしました。SNSの利用により「これだけ効果が出ます」と上司に提案したら認めてもらえたので、それから続けていますね(笑)。 

流通の力は絶対に必要。『JA神奈川つくい』×『戸田酒店』のこれから。

――「津久井在来大豆」の再興を目指しているわけですが、その進捗具合は実際のところどのくらいだと感じられますか。 

中原 まだ10パーセントくらい、遠い道のりだと思っています。この地域はいわゆる中山間地にあたり、広大な畑を用意できるわけではありません。地理的な問題で、一大生産地にはなれないのです。また、大豆は年に一回しか収穫できないので、栽培の練習も難しい作物です。ですが、そのなかでも「津久井在来大豆」をつくりたいという農家さんをバックアップし、つくってくれたものを買い取り、消費につなげていかなくてはなりません。それには流通の力が絶対に必須だと感じています。 

柄澤 農協さんは農家さんの生計が立つように、農作物を買い取り、その使い道を模索されています。農作物が入ってくる「入口」に対して、たとえば大豆であれば納豆にしたり、お味噌汁にしたりといった商品化を通じて「出口」をつくることが、私たちの仕事だと思っています。実際、4月に「津久井在来大豆」のことを知り、これをみそ汁にできないかということで、宍道湖のしじみを取り扱っている『株式会社河村食品』さんも加えて、「津久井在来大豆」からつくった味噌を使ったしじみ汁を開発し、来春発売予定なんです。 

――4月に出会って、もう商品ができているんですか、すごいペースですね(笑)。 

共同開発したしじみ汁のパッケージにも「津久井在来大豆」のことがしっかり書かれている(パッケージは開発段階のもの)。

柄澤 そうなんです、こうしたローカルだけれども、たくさんの魅力の詰まった農水産物や畜産物をどんどん全国に届けていければいいですね。 

中原 今回の『戸田酒店』さんとのしじみ汁づくりのように、これからは「津久井在来大豆」をただつくるだけでなく、加工や流通の領域にも踏み込んでいって、六次産業化(農林・水産・畜産などの一次産業×加工の二次産業×流通・販売の三次産業を掛けた言葉)が必要だと考えています。農協の使命は農家の所得を増やすことなので、「津久井在来大豆」はしっかりとブランディングをして高く買い取って、そのぶん付加価値のある商品にすることで「津久井在来大豆」の名前を広めていきたいです。そうすることで「津久井在来大豆」をつくろうという農家さんがまた増えていけば、自然と生産量も消費量も増える好循環の輪が形成されていくのではないでしょうか。

中原正貴さん。『JA神奈川つくい』の直売所「あぐりんず つくい」の前で。

中原正貴(なかはら・まさき)
1974年生まれ。平成6年にJAに入職。広報や各支店の渉外担当を経て、現在は『JA神奈川つくい』にて農家と直接かかわりを持つ営農経済課の課長を務める。

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